講師紹介
ヤダシンタロウ Shintaro Yada
1984年 川口北高校卒業
1990年 グループ展(立川市民会館)
1998年~2004年 主体展出品(01、02、04年佳作作家)
グループ展(ローテンブルグ・ドイツ)
2007年 昭和シェル石油カレンダーに作品採用
2008年 個展(masui RDR 川口)
2011年 「川口の新鋭作家展」(川口市立アートギャラリー・アトリア)
東日本大震災チャリティー展in川口を企画
2012年 第2回東日本大震災チャリティー展in川口を企画
2014年 個展「行為の堆積・情報の抽出」(武蔵野美術大学 g-FAL)
2016年 「ここでもアートかわぐち展」(川口市立アートギャラリー・アトリア)
2017年 主体展 秀作作家賞
2019年 白日展 白日賞
個展 あかね画廊・銀座
2021年 ホキ美術館プレミア大賞入選
現在 無所属 資格/中学高校美術教員免許、調理師免許
作品ギャラリー1 (画像を押すと説明が出ます)
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美術大学では、1、2年はとにかくデッサン的な描写力を身に着けることに取り組みました。
そして2年時に古典技法のゼミと、3年時に現代美術のゼミを経験したことが、
これまでの作品制作に非常に影響しています。
古典技法ゼミはイタリアで古典絵画技法を学んだ斎藤國靖 さん。
現代美術ゼミはデュセルドルフ芸術アカデミーを卒業した小野 皓一さんが担当講師でした。
まったく相反する方向性を持った表現の可能性に興味を持ったことで、
それらをどのように咀嚼して自分の表現にするかが問題となりました。
以上のような理由から作品の発表を始めてから、これまで私の表現様式は、4回ほど変わりました。
1つ目は「抽象絵画のプラクティス」(ミニマルな抽象) 1990~1995
2つ目は「ミメーシス」(現実の模倣への回帰)1998~2003
3番目は「行為の体積/情報の抽出」(ミメーシスの分析)2004~2016
4番目は「古典技法のプラクティス」2017~現在、です。
私が絵画を理解するうえで重要だと思うのは、意味と構造だと考えています。
美術史的に言うと図像学と様式論になります。
絵画というものは究極的な用途・目的としては、壁の装飾だと私は思うのだけれども、絵を読むもの(図像学)として捉えるのか、絵を感じるもの(様式論)として捉えるのかで、装飾としての意味合いが変わってくる。
例えばパウル・クレーやポリアコフの抽象作品は。説明的な要素がなくても成立しうる色彩の心地よい響きあいがある。レンブラントやアンドリュー・ワイエスの作品はイメージを読み取ることで、人生の意味を感じさせる何かが存在する。
何が大事だと思うのかは、人それぞれだと思いますが、自分としては絵画を描くこと自体に対しても興味があります。現在のようにAIが画像イメージを生成できる状況では、作品を人間が描くという必然性をどこに求めるかということが大事だと思うのです。
そういった意味で、今現在、私が取り組んでいる油絵のグリザイユ技法は、絵の支持体であるパネル作りから始まり、絵を描くためのプロセスが多く時代遅れであるが上に、逆にやる意味があると感じています。