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2014年 武蔵野美術大学g-fal 個展 展示風景
「“carpe diem”としての絵画制作」(2014年)  


Ⅰ ミメーシスを描くためのモチベーション
Ⅱ 自分にとっての写真と絵画の関係
Ⅲ 日本的テーマとしての日常風景
Ⅳ ミメーシスと行為
Ⅴ ミメーシスの情報
Ⅵ ギリシャ哲学におけるミメーシス
Ⅶ 制作におけるイメージと色彩
Ⅷ 視覚についての考察        

(Ⅰ~Ⅴの文章は2011年2月、Ⅵ~Ⅷの文章は2014年8月に作成)


Ⅰミメーシスを描くためのモチベーション

絵画は平面上にテキストを読み取ることによって成立します。読み取る主体はそれを観る者にある。
だからテキストはかならずしも意味(具体的イメージ)を持たなくてもよいのです。つまり絵画として制作されたものでなくても絵画として見ることができると いうことです。言葉の場合「あぺとらめーかす」といったような意味の成立しない文字の羅列はテキストとして成立しませんが、絵画ではただのしみや絵の具の 線が見る側の心理状態によって何かのイメージに変容することがあります。つまり絵画のテキスト発生の主体は、言葉のテキストと異なり創造と再創造(解釈、 批評)の関係は逆転する可能性を持っているのです。平面に表現された絵画としてのイリュージョン自体も現実の空間を示唆する記号です。また平面上に何も存 在しなくてもそのこと自体がテキストになります。抽象絵画はそのようなテキストとして成立します。

抽象絵画の目的とは、絵画の純粋性や形式的本質の追求だと思います。 かつて抽象絵画は、誰も見たことのないビジョンの地平線を切り開くという、野心を持った芸術家たちによって描かれました。セザンヌの「水平線は広がり、垂 直線は深さ」やモーリス・ドニの「色彩で覆われた平坦な表面」といった画家たちの発言した言葉から理論的に還元された絵画の実践による、媒体のアイデン ティティの確立、存在意義の確認であったわけです。

ところでわたしはたまに1970年代後半の「みずえ」や「美術手帳」といった雑誌を見ます。その時代の作家や評論家は今から考えるとまったくバカみたいに 禁欲的な姿勢で絵画の形式について議論しています。わたしが現代美術というものに興味を持ち始めたのは1980年代後半のいわゆるニューペインティング絵 画も下火になりつつある時期でしたので、ニューペインティングのようにナンデモアリといった流行の前に、そういった時代があったことをはじめて知った時は とても不思議で新鮮でした。平面にちょこっと線を引いたり、画面の隅に色を塗ったりした実験的作品を追求する姿勢に憧れる気持ちを持って、自分も一時期そ ういった表現で制作していました。

でもそのうちに抽象絵画では作者が意識あるいは無意識的に自分で規定したシステム(表面的にいえばスタイル)の中に閉じ込めてしまう可能性があることに気 がつきました。わたしは紙を折った線を基に色面を構成していくという「システム」で制作していたことがありますが、続けているうちにそのシステムに捕まっ てしまって身動きが取れなくなってしまいました。そこでわたしは1970年代の作家たちと同じように還元主義による絵画の可能性に限界を感じたのです。

そんな時に1995年1月に阪神淡路大震災が起き、わたしはボランティアの経験をしました。その際に現場で見た高速道路の一部がごっそりなくなっいる風景 や、壁にひび割れができて傾いている高層マンション、献花されている倒壊した家などは、まるで戦場のようで、それまで平和な暮らしに慣れた自分には現実と は思えない感覚を与えました。そして小学校の体育館で生活している避難民の方たちの様子を見ていると、「絵画の平面としての自律性」といったことを考えて いても、この人たちのためには何も役に立たないと虚しく思えたのです。寒い冬の夜、氷の張った学校のプール脇に備え付けられた水道で、食べ終わったカップ うどんの容器を大事に洗っている老婦人を見ていると、そこから電車で30分も行けば大勢の人がにぎやかに騒いでいる大阪の繁華街の存在がウソのように感じ ました。

制作にいきづまりを感じていたことと、ボランティアをした時に感じた不毛な感覚があってわたしはしばらく絵を描くことをやめました。そして数年間千葉県の 山あいの田舎で働きながら暮らしました。わたしは都会での距離を置いたコミュニケーションとは違う、良くも悪くも密度の濃い人間関係に始め違和感を感じま したが、それもじきに慣れて自分なりの居場所を作ることができるようになりました。当時わたしは房総半島のの真ん中にある久留里に住んでいましたが、休み の日などにその町の城跡のある小高い山によく登って風景を眺めていました。そこはとても見晴らしが良い場所で、あまり高くない房総の山並みと久留里の町並 みを何度も眺めているうちに、だんだんとこの眼下に見える空間を再現してみたいという気持ちが湧いてきたのです。都会に住んでいるときにはあまりビルばか りの風景を描くという気にはなりませんでしたが、その時のわたしには田んぼ、畦道、川、民家、道路、林、山など、自然物と人工物のいくつもの要素が関わり 合って成立している様子が魅力的に感じたのです。そしてもう一度絵画の本質は何かと考えた結果、ミメーシス(模倣)なのではないかとその時わたしは感じた のです。

現実を示唆する具体的なイメージを描くか、あるいは自分で規定したシステムによって制作するのか、それはどちらでもいいとは思いますが、それが単なる実験 ではなく何らかの形で見ることの「楽しみ」につながることが絵画として重要なのではないでしょうか。それがわたしの場合、久留里で経験した、目の前に広が るジオラマ的空間だったのです。その後ふたたびミメーシスというテーマで絵を描き続け、そして同時にミメーシスとは何かという問いを考え続けた結果が、 「行為の堆積」と「情報の抽出」という概念です。本来絵画はイメージによってメッセージを伝えるための視覚芸術ですが、わたしが興味をもっているのは視覚 自体を認識するための表現方法なのです。


Ⅱ自分にとっての写真と絵画の関係

わたしは自分の撮影した写真をもとにしてに絵を制作します。でも写真を使って絵を描くことにたいし、抵抗感を持つ人もいるのでここで自分の考えを書きたい と思います。19世紀に発明されてから写真は画家にとって手ごわいライバルであり続けました。絵画が「手仕事」である以上、機械的に現実のイメージをより 正確に模倣できる写真という媒体は絵画の存在意義を否定することになりかねません。だから画家は逆にイメージのデフォルメや純粋な形態への還元などに表現 目的をシフトしてきたのです。だから写真を基に絵を描くということについて画家はこれまで意識的にならざるを得ませんでした。たとえばR・エステスや チャック・クロースといったフォトリアリズムの画家は写真以上ともいうべきイメージの情報量を描くことによってライバルに対抗しようとしました。またゲル ハルト・リヒターの場合は、情報としてのイメージを描くのではなく、プリントされた写真という「平面的物体」を描こうとしてます。それは平面から平面への コピー過程での恣意的なミスによって、媒体を意識させることに制作意図を持った,平面性の表現だといえます。

写真と絵画の優劣を問うことやその差異性を強調することは、写真を客体として問うスタンスですが、わたしの場合、写真は客体ではなく、カメラによって自分 の目の機能を拡張することで得られたイメージ情報であり、わたしという存在が持つ視覚の延長線上にあります。メルロ・ポンティは『知覚の現象学』のなかで 「実存の拡張」という言葉を使っていますが、盲人が使う杖や運転手に対する自動車との関係は物体として知覚される対象ではなく、実存を拡張する道具として あると書いています。道具とは習慣的に使うことによって意識されることなく身体の付属物となるのです。

わたしが初めて自分のカメラを持ったのは30年以上前ですが、最初はまったくピントの合っていない写真しか取れませんでした。それからピントや露出といっ た技術的なことを学習しましたが、今のデジタルカメラならそういった習慣的訓練なしでも簡単に完璧なピントと露出で取れた写真を撮ることができます。です からカメラという道具においては「実存の拡張」は、いともたやすく行われるのです。わたしはそうやってカメラで撮影した写真という情報を、素材として絵を 描きます。言いかえれば描くという行為をするためのきっかけとしてのイメージを得るための見る能力をカメラによって高めるのです。もしくは何か頭の中でも のを考えるときに頭の中にある思考の断片を紙にメモ書きをする、そのメモとしての役割を自分の撮った写真はしているともいえます。客体としてではなく写真 をカメラを通して獲得された自分の視覚として考えれば異なる価値基準によって位置関係を構築できると思います。


Ⅲ 日本的テーマとしての日常風景

よく現代の日本には宗教がないといわれます。でもわたしはそうではなくて、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のように観念的に構築した神の存在を理論的に 正当化しようとするのではなく、外来してきた仏教が、民間信仰から形成された日本神話の中に吸収されることで絶対的な信仰を強要する宗教として確立なされ なかったというだけなのだと思います。

かつて古代ではどのような地域でも自然物の中には霊的なものが存在すると考える多神教を崇拝してきました。それは古代ギリシャ・ローマでも同じですが、西 暦380年テオドシウス帝によってキリスト教がローマ帝国の国教になったことで状況が変化しました。地中海周辺で唯一の一神教であったユダヤ教から派生し たキリスト教は、古代ローマ帝国において圧政に苦しんだ民衆の心をつかみ信者を増やしてゆき、やがてローマ皇帝が無視できない存在となっていったのです。

日本における宗教は仏教と神教ですが、この2つは1868年明治政府による神仏分離令の発令まで、ほとんど区別なく一体化して信仰の対象となってきまし た。仏教は外来の宗教で論理的に構築された世界観がありますが、日本神話はいわゆる八百万の神々を崇拝する素朴なアニミズムの延長線上にあり、むしろ論理 性を否定する側面があります。私たちは、今でも正月や子供の節句などの際、強い宗教的意識を持つこともなく神社に行きます。つまり日本は現在の先進国の中 で唯一の多神教国家だといえます。

そしてそういった異なる方法論を持つ宗教を矛盾なく融合させることができたのは、おそらく仏像という立体彫刻の役割が大きかったのではないかとわたしは考 えます。日本のお寺に行けば必ず建物の中心に仏像があるわけですが、それに対しわたしたちは手を合わせて拝みます。そして仏像は仏のイメージを模した記号 である前に、自然に存在する物体でもあります。つまり仏像は仏の化身であると同時に、木という自然に宿る八百万の神々の化身なのです。たとえば円空による 木材にナタや小刀で刻み込んだだけの仏像は、その信仰の二重性を明確に表現したものだとわたしは思います。ヨーロッパのキリスト教の教会でもマリア像など の立体彫刻がありますが、教会の中心には聖書の逸話を描いた祭壇画が飾られ信仰の対象にとなっています。

また中世ヨーロッパで絵画としてよく描かれたテーマに「メメントモリ(死を忘れるな)」というものがあります。死者と生者が踊っていたり、美しい娘と骸骨 を並べて描いたりした、信者の死に対する恐怖心を煽るようなグロテスクな宗教画がたくさん存在します。そういった絵画が描かれた理由は1348年以降、当 時黒死病と呼ばれたペストがなんども大流行し、一時は全ヨーロッパの人口の3分の1が死亡し、それ以後近代に入るまで何度も流行したことにあります。その 当時のヨーロッパ人にとって、死はまさしく大鎌を持って突然やってくる不幸だったのです。

フォーマリズムが行き詰った1980年代以後、作品のアイデンティティを積極的に意味解釈に求めるようになった現代の美術においても、死というテーマを表 現したものは多くあります。たとえばイギリス出身のアーティストの、ダミアン・ハーストによるホルマリン漬けの動物のような挑発的な身振りの作品は、「メ メントモリ」という過去のキリスト教の思想的文脈と現代を繋ぐ作品だといえます。

しかしながら「メメントモリ」という言葉には古代ローマの時代、対となる「カルペディエム」という言葉がありました。「カルペディエム」は、日本語では 「今を生きる」と訳されることが多いですが、もともとこの言葉は古代ローマのギリシャ人の詩人ホラティウスの詩の一部です。この詩は、星占いを気にする若 い女の子に対する説教という体裁をとっていますが、イタリア文学者で作家の須賀敦子はこの詩について次のように書いています。

「この詩の、最終行にあるふたつのことば「その日を摘め」carpe diemをはじめて読んだとき、ああ、かなわない、と私は息がつまった。いまはローマに帰ってしまった古典好きの友人が、carpeということばを説明し てくれた。これは、花を摘むみたいに、葉の間に見えかくれする実を、ぱっと摘みとるとか、そんな言葉なんだよ。ぐずぐずしていないで、さっさと摘め、そん な感じだ。ぷちん。その瞬間、私は、花の茎が折れる、微かだがはじけるようなあの音を聞いた気がした。未来など頼みにせず、今日この日を摘みとれ。そう詩 人は言う。でも、彼の教訓よりもなによりも、あのcarpe〔カルペ〕という、乾いた、それだけの、みじかい音に打たれるのは、私だけだろうか」(読売新 聞1995年1月30日『古典再読』)

生きる意味を誠実に考えつづけた須賀敦子らしい感想だと思いますが、わたしがおもうに多神教の問題点は、支配者が自分自身を多くの神のうちの一人であると して崇拝させるようになることであり、逆に一神教の問題点は、観念的に構築された世界観を無理やり現実社会に合わせようとすることで起こる矛盾です。
ギリシャ人は生を謳歌する民族、死を不幸なこと、恐ろしいこととして捉えるのではなく日常の延長線上に考える死生観があります。ギリシャ神話で描かれる 神々の姿はまったく俗物の人間そのものです。それに対しキリスト教においての信仰のテーマは、死後の救済と復活であり、現世の人生を欲望のままに楽しむこ とは絶対的存在の神の意思に背くことになります。

「メメントモリ」に限らず、 西洋画においては19世紀半ばまで絵画を含む芸術は、すべての絵画に描かれた対象にキリスト教的意味が付加されてきました。パノフスキーは『イコノロジー 研究』で、ルネサンス期においていかにギリシャ・ローマ神話の「異教」のモチーフが解釈によって変質しキリスト教的宗教絵画のテーマとして普及していった かを言及しています。でもそういったことはそれ以降のヨーロッパ絵画でも同じで、17世紀オランダのテルボルフやヤン・ステーンのほほえましい庶民の暮ら しを描いた小品でさえも暗喩としてのキリスト教的教訓を含んでいます。

また中国における絵画も、状況的にはヨーロッパと同じで「芸術が思想に奉仕する」というスタンスであったといえます。中国において芸術は儒教や道教の哲学 思想が芸術表現に対して強い影響力を与え続け、絵画という表現媒体では世俗を離れた理想郷をいかに描くかということが長い間問題とされてきました。ですか ら庶民の日常生活などのテーマは卑俗なもので絵画のテーマとしてふさわしくないと考えられたのです。このようにヨーロッパや中国において絵画は宗教的役割 をになわされてきたのに対し、日本において絵画はほとんど宗教とは関係のないテーマで描かれてきました。もちろん日本でも宗教芸術として涅槃図などが描か れましたが、平安末期から運慶など優れた仏師が登場し、その迫真的表現力によって信仰の直接的対象として仏像彫刻がさかんになり、鎌倉室町時代以降絵画は 宗教とは関係のない山水風景や花鳥図、洛中洛外図のような庶民風俗や寓話などのモチーフが描かれ独自の発展をしました。。

また仏像彫刻が主要な宗教的役割をになっていたということに加えて、寝殿造りから武家造りへと建築が発展することによって、襖という構造上不可欠な支持体 に絵を描くという特殊事情が教訓や暗喩から絵画を開放したとも思います。たとえば日常生活を営む場所の壁全体に「メメントモリ」のような深刻なテーマの絵 が描かれていては息苦しくて仕方がないわけですから、絵画は日本において宗教的・思想的役割から開放され、純粋な装飾という実用性として発展することがで きたのです

そしてそういったテーマのなかで日常風景を描くことは、浮世絵という安価な「印刷物」を通じて当時の庶民自身にも普及していきました。やがて浮世絵がヨー ロッパに「瀬戸物の包み紙」として渡り芸術家に影響を与えることで、印象派というまったく宗教的解釈を必要としない日常風景をモチーフにした絵画を生み出 しました。そのことを考えれば、ジャポニスムとは単なるモチーフとしての異国趣味の取り入れという瑣末的な出来事ではなく、20世紀にはいって、「芸術の ための芸術」というテーゼにもとづく純粋造形を目指すいくつもの流派の思想的根源であったといえるとわたしは考えます。

つまりわたしが、日常風景のイメージを描くのは、それが日本独自の美術的文脈の延長線上として正統性があると考えるからです。そして同時に、わたしはメッ セージを伝達するために絵を描いているのではなく、絵を描く行為をイメージを媒介として表現したいので、なるべくメッセージ性がないイメージをモチーフに したいと考えた結果、自分が出会った日常風景を描くようになったのです。

芸術はそれぞれの時代の社会を映す鏡です。ですから芸術について考えるにはまず今という時代がどういう状況なのかを考える必要性があります。19世紀後半 から20世紀前半にかけて、世界はイデオロギーに支配された時代でした。イデオロギーとはある仮定にもとづいた世界観から導かれた理論的体系によって現実 の諸問題を処理していく方法論です。それ以前は王侯貴族あるいは教会といった社会的ヒエラルキーの中で頂点にある支配階級が独断で世界観を決定することが できましたが、彼らの権力的基盤が弱体化することによって市民階級から選ばれた「代表」が自分たちの主張を正当化するために独自のイデオロギーを構築した のです。現在の私たちは、イデオロギー的に体系化したモデルによって現実を把握することには、必ず欠点があることを認識しているので、もし芸術家が声高に 「~~主義」を主張しても誰も真剣に取り合ってはくれないでしょう。あるいは受け入れられるとしてもそれはパロディであることを自覚したものでなければ芸 術のテーマとして成立しないはずです。だから現在の芸術家は社会的テーマの中で断片化した現実を表現するしかないのだともいえます。


Ⅳ ミメーシスと行為

わたしは作品のタイトルに「行為の堆積」という言葉を入れていますが、平面にたいする行為が絵画を作り出すというということだけを表現したいのであれば具 体的なイメージを描く必要はありません。たとえばポロックやサイ・トウォンブリーやリ・ウーファンといった抽象絵画の画家たちが、現代美術の文脈において 行為性を表現する代表として挙げられると思います。そういった画家たちの優れた抽象絵画の作品は、描かれた行為の痕跡によって、物体としての平面をイ リュージョン性のある絵画へと変容させています。ポロックは体全体を使った踊るような動きの「アクション」を表現し、サイ・トゥンブリーは子供のスクリブ ルのような自由な動きを表現し、リ・ウーファンは東洋的カリグラフィのようにコントロールされた強弱のニュアンスを持ったストロークを使い作品を描いてい ます。

そのような抽象絵画は現実空間の中に独自の文法を持ったテキストとして作品を表現した、作者の自覚的あるいは無自覚な実存としての自己認識ですが、わたし は実存としての自分と、わたしが見た対象としての風景の実存との関係を関連づけた、世界内存在としての自己確認として作品を表現したいと思うのです。
わたしはイメージを伝達するために絵を描いているのではなく、絵を描く行為自体を見せたいのです。それも行為性とイメージがぴったりと重なって見る人同時 に伝わるようなものを作り出したかったのです。それは行為自体を見せるということではなく、イメージの介在者としての行為の役割を見せたいのです。わたし はよく草むらのある風景を選択して描くのですが、その理由は草むらというモチーフが必要とする線の長さが、自分の描くという行為のためのストロークの長さ に一番合致していて都合が良かったからです。わたしの場合、手首を使ったスナップのような短いストロークで描くことが自分にあっているのです。そのような 手の動きは自分の主宰している造形教室で子供たちと段ボールや紙粘土や針金で工作を作ったり、オリガミを折ったりする作業と同じで、日常生活で使う手の動 きの延長線上にあり、自分にとってとても自然な行為なのです。


Ⅴ ミメーシスの情報

見るということは現実の空間から部分的に視覚的情報を獲得する事です。
たとえばあなたが、公園に行ったとします。そこであなたの目に入るものは何でしょうか。もし一休みしたいと思って公園に来たのなら、まずベンチを探すで しょう。暑い日であれば、木陰で休みたいと思うでしょう。また気持ちをなごませたいと思っているのなら、花壇や池の魚などを眺めるかもしれません。もしあ なたが子供なら、ブランコや滑り台など遊具が気になるでしょう。小さい幼児であれば、地面で動き回るダンゴ虫や蟻に目が向くかもしれません。そしてしばら く公園にいると周りの街並みや雲の動き、電線に止まっている鳥などが目に入ってくるかもしれません。
このように、見るということは、目に入るすべての対象を意識・把握しているわけではなく、自分にとってその時興味を持っていたり、必要としている情報に注 意を向けながら見ているのだと思います。そして何かを見て描くということは正確に言うと真似ることではなく、見えている対象から、その対象の特徴だと思え るような要素を取り出すことです。

私は絵を描きながらミメーシスとはなんなのかということを考えてきましたが、そういったなかでたまたま出会ったのが認知心理学者のジェームズ・ギブソンの アフォーダンス理論でした。ジェームズ・ギブソンの『生態学的視覚論』という本をはじめて手にした時は、正直なところ著者が何を言いたいのかさっぱり理解 できませんでした。その時の自分にはギブソンのいう、知覚における情報の抽出という概念が具体的にイメージできなかったのです。でもその後自分で造形教室 をはじめて子供たちの絵に接しているうちに、子供の絵がまさしくギブソンの考えを具体的に表わしていることに気がつきました。子供たちは絵を描く時、見て いる対象の中からそれぞれ違った特徴を抽出しながら表現していました。

子供が興味を持つ要素は、色や、形の細部や、模様や、輪郭であったりします。そして絵の表現において要素の優先順位はそれぞれの子供によって異なります。 またその描き方は個々の子供によってかなり違います。かれらは興味のある対象だと細かく観察して描いたり、逆の場合だと適当に描いたりします。小さな子ど も達は対象を示唆するための最小限の目立つ情報だけを抽出して、そしてその際自分が描き易い様に形を変形したり単純化しています。年齢が低いこどもの描く 絵は対象から取り出す情報が少ないので、一見して何が描かれているのか判らない場合もあります。また対象自体によっても優先順位は変わってきます。要素が 複雑なモチーフであればあるほど、言い換えれば対象の持っている情報量が多いほど優先順位の多様性が顕著になります。したがって描く行為や作品を注意深く 見ていくと、それぞれの子どもが対象の何に興味をもっているのかだんだん判ってきます。
つまりこどもは、ジェームス・ギブソンの言葉で言い換えれば「対象を特徴づける不変項としての細部の断片」としての情報を重視するのです。(不変項とは、 対象の不変的な特徴という意味の用語です。)ミメーシス(模倣)とは、そういった観察された断片の集積として成立します。

継続的にひとりひとりの子供の絵を見ていくと、はじめは見た対象の断片しか情報をピックアップすることができなくても、描くことを経験していくうちに自分 なりの表現方法を作りあげていって、独自の絵のスタイルが出来てくるのがわかります。描くことは、見えている対象から、その対象の特徴だと思えるような要 素を取り出すことであり、いいかえれば見ることによって外から情報を 「inpress(入力)」して、それを個人がそれぞれの描写のためのコード(約束事)によって変換して「express(出力)」することす。

たとえば子どもの時に使っている描くためのコードは、はじめはそれぞれの感性と手の自然な動きによるものですが、だんだんと経験を積むことによって、コー ドの入れ替えがされて知識と技術によって「上手く」なっていきます。子供が絵を描く行為において重要なのは、どのように対象から得た情報を再構成するかと いう、新しい描写コードの作成を自分で考える能力なのです。

またこのように考えていくと、子どもだけでなく大人でも絵を描く時、見たものを完全に「写す」ということは不可能であり、対象の情報は再構築して表現して いるのだと気付かされました。ギブソンの考え方はとても斬新です。彼は現実における遠近法的な奥行きの知覚を否定し、自然の知覚は画像ではなく包囲光配列 から情報を抽出することだと言っています。包囲光配列とは何か。包囲光とは対象の存在を知ら示す照明のことで、包囲光配列とはその照明で満たされた空間の 中に存在する対象の位置関係のことです。そして絵画を含めた画像についてギブソンは次のように書いています。

「画像に対しては2種類の把握の仕方が避けがたいものである。すなわち、画像が表現していることを間接的に気づき知ることに加えて、画像表面を直接的に知 覚することである。したがって、「目をだますこと」、すなわち実在するものであるかのような錯覚はおこらないのである。」(ジェームズ・ギブソン『生態学 的視覚論』P310)

この言葉から絵画を解釈するなら、フェルメールの『牛乳を注ぐ娘』がミメーシスとして優れているのは、作品が窓枠の中のトロンプユイユとして我々を欺くか らではなく、平らな物体と意識された対象の上に、抽出された不変項が巧妙に配置され再構築された視覚的情報として我々に訴えかけるからです。
前述のメルロ・ポンティとジェームズ・ギブソンは研究分野がことなりますが、次のような文章を読むと、わたしは二人が共通した考え方を持っているように思えます。

「世界を知覚することは自分自身を同時に知覚することを強調することにほかならない。これは、精神-物質の二元論、精神-身体の二元論、このいずれの型の 二元論にも対応しない。世界について意識することと、世界に対する人間の補足的関係を意識することは不可分なのである。」(ジェームズ・ギブソン『生態学 的視覚論』P154)

「経験は、身体がけっきょくはそのなかに座を占めるようになる客観的な空間の下に、さらに始元的な空間性を啓示してみせ、この空間性は身体の存在そのもの と合一しており、客観的空間性も実はこの空間性の外皮にすぎないことを示してくれるのだ。記述したように、身体であるとは或る世界に結び合わされているこ とであり、われわれの身体は、そもそも空間のなかに在るのではなくて、空間にぞくしているのである。」(メルロ・ポンティ『知覚の現象学Ⅰ』P247)

メルロ・ポンティもジェームズ・ギブソンも、コギトとしての自己認識の限界を提示し、現実に働きかけると同時に現実から働きかけられる存在としての自己認 識を強く主張しています。それは思考と身体を切り離して考えるのではなく、わたしの思考はわたしが生きている身体が経験する現実によって規定されてわたし が存在するのだということではないでしょうか? 


Ⅵ ギリシャ哲学におけるミメーシス

そもそも日本語における、「真似る・模倣・再現」を意味するミメーシスとは何か。それを知るとするなら、言葉の出所であるプラトンとアリストテレスの考えを引用する必要があります。
まずプラトンは『国家論』において、芸術によって模倣をすることは、実際にあるものをあるがままに写すのではなく、その対象の一段面を切り取ることでしかなく、彼が考える対象の本質としての「イデア」に劣るものであると言っています。

「もし君が鏡を手にとってあらゆる方向にまわしてみようとするなら、~君はたちまち大地を作りだし、またたちまち自分自身と他の動物を、家具を植物を、そ して先ほど言っていたすべてののものを、作り出すだろう~画家もまたそういう類(影像)の製作者の一人である」(『世界古典文学全集15・プラトンⅡ』筑 摩書房 P264)
「模倣者はかれが模倣しているものについて語るに足ることはなに一つ知っていない、むしろ模倣とは一種の遊びごとであり、まじめな仕事ではないのである。」(同P270)
「模倣は人間のどんな部分に作用することによって、その効力を発揮するのだろうか?~色に関する視覚の迷いから、同じものがくぼんで見えたり、ふくらんで 見えたりする。~こういう種類の混乱は~われわれの本性のこの弱点を利用することによって、陰影画はあらゆる魔術をおこなうのである~模倣術は、それ自身 劣ったものとして劣ったものとく交わり、劣ったものを産む」(同P271)

プラトンにおいて、模倣する行為やミメーシスとしての芸術は、現実に対して不完全で劣った遊びごととして扱われています。そして楽しみを目的とした叙事詩 や悲劇などの創作に接することにより人は理性的でなくなり堕落してしまうと、批判しています。プラトンのミメーシス論は、彼の理想の国家の建設という立場 からの否定的意見でありますが、それに対してアリストテレスのミメーシスについての考えは、芸術表現に対してより肯定的な立場から分析しています。

「再現(模倣)することは、子供のころから人間にそなわった自然な傾向である。しかも人間は、もっとも再現を好み再現によって最初にものを学ぶという点 で、他の動物と異なる。つぎに、すべての者が再現されたものをよろこぶことも、人間にそなわった自然な傾向である。このことは経験によって証明される。な ぜならわたしたちは、もっとも下等な動物や人間の死体の形状のように、その実物を見るのは苦痛であっても、それらをきわめて正確に描いた絵であれば、これ を見るのをよろこぶからである。その理由は、学ぶことが哲学者にとってのみならず、他の人々にとっても同じように最大のたのしみであるということにある。 ~じじつ、人が絵を見て感じるよろこびは、絵を見ると同時に、「これはかのものである」というふうに、描かれている個々のものが何かであるかを学んだり、 推論したりすることから生じる。人が実物を以前に見たことがない場合、絵がよろこびをあたえるとすれば、それは、再現だからではなく、仕上げの巧みさ、色 彩、あるいはこれに類する他の原因によるものであろう。」(アリストテレス『詩学』岩波文庫P27)

ここでのアリストテレスは、ミメーシスを作り出すためには「仕上げの巧みさ、色彩、あるいはこれに類する他の原因」といった表現ための技術が必要だと述べ ていて、それが鏡が周囲の風景を映し込むような単なる受動的な行為だとは捉えていません。そしてより重要なことは、アリストテレスは自然を模倣するという ことだけではなく、叙事詩やその発展形態としての悲劇あるいは喜劇において「行為する人間」を再現するという創作行為がミメーシスの本質だと考えていま す。

「悲劇とは、一定の大きさをそなえ完結した高貴な行為の再現(ミメーシス)であり、快い効果をあたえる言葉を使用し、しかも作品の部分部分によってそれぞ れの媒体を別々に用い、叙述によってではなく、行為する人物たちによっておこなわれ、あわれみとおそれを通じてそのような感情の浄化(カタルシス)を達成 するものである。
~行為の再現とは、筋(ミュートス)のことである。すなわち、ここでわたしが筋というのは、出来事の組みたてのことである。~悲劇が人の心をもっともよく 動かす要素は、筋を構成する部分としての逆転(ペリペテイア)と認知(アナグリノーシス)である。~したがって、筋は悲劇の原理であり、いわば魂である。 二番目にくるのは性格である。
~悲劇は行為の再現である。悲劇が行為する人々の再現であるのは、まさにその行為のためにほかならない。」(同 P34-37)

演劇とは人間の行為の再現であり、自然も技術も素材の最も優れた組成を担うべきであるとアリストテレスは考えます。そして神という特別な存在によって都合 良く話の筋が進行していくのではなく、現実に起こりうる合理性のある筋がすぐれた演劇の条件だとしています。なぜなら、彼は演劇のミメーシスについて「人 間の再現ではなく、行為と人生の再現だからである。幸福も不幸も、行為にもとづくものである。そして(人生の)目的は、なんらかの行為」にあると考えるか らです。
つまり再現された創作(ポイエーシス)では、劇中の出来事が現実で起こりうることと同じように、優れた人間でも劣った人間であっても行為した結果によって登場人物の人生は変わっていくことがもとめられています。
アリストテレスにおけるミメーシス論では人間が自然の一部なのだから、人間の行為もまたそうだと考えられていると私は思います。そして人間の行為も自然の 一部だという考えることによって、ミメーシス作品の内容と模倣する行為との関係性を捉え直すことができるのではないかと私は考え、そのことが現在の自分の 作品制作の方法論につながるのです。


Ⅶ 制作におけるイメージと色彩

現在わたしがミメーシスの絵画を制作する場合にはモノクロームでイメージを表現していますが、その理由は上述したように作品における行為性を強調するため ですが、そのように絵画における行為性について関心を持つようになったのは次のようなきっかけがありました。約10年ほど前、わたしは障害者施設で制作さ れた、いわゆるエイブルアートと呼ばれる作品展を観る機会がありました。その障害者施設「工房集」は、わたしが住んでいる埼玉県川口市にあり、そこでは障 害者の人達がアーティストとして、独自性のある絵画や立体、クラフトなどを制作していました。工房集では定期的に施設スペースを使って作品展を催していた のでわたしはよく見に行っていたのですが、そのなかで特にわたしが印象深く感じたのは、齋藤裕一さんが制作する文字をモチーフとした絵画作品でした。

齋藤裕一さんの作品では意味を伝えるために文字を書くのではなく、作者が好きな文字を数百以上繰り返し描いていて、まるでそれがぼんやりとした雲のかたま りように浮かんで見える独創的なイメージの絵画でした。わたしは齋藤さんの作品を観て、本来文字という記号イメージが意味を伝えるという目的よりも、描く ことの繰り返しによって制作行為の過程のほうが重要になっている逆転した関係性が面白いと感じました。そしてミメーシスとしての絵画においても同じことが 出来ないだろうかと考えるようになったのです。

印象派以前の西洋絵画の場合、暗い下地に明るい絵具でイメージを描き起こし、その上に半透明な絵具を薄く塗り、そしてまたその上から形を描き起こすという 作業を繰り返します。ファンアイクやルーベンス、レンブラント、アングルといった画家の作品では、この手法で素晴らしい絵画空間を描き出しています。今で はそのような手法は印象派以前の手法という意味で古典技法と呼ばれていますが、その手法はまるでイメージを骨格として描き起こし、そのあと色彩を使って皮 膚をつけていくようなものであり、したがって絵画とは本来描く行為を隠すための作業だと言えます。

それに対して私の作品では行為性を見せるために、あえて色のニュアンスつけないで終わらせているので、いわば絵画を骨格だけの姿で成立させていると言える でしょう。そしてそうすることでわたしとしては、二つの「存在と時間」、ひとつは描かれたイメージが持っている存在と時間、もうひとつは支持体としての存 在と描くために要する時間を内包させたいと考えています。つまりミメーシス絵画を、描かれた対象のイメージの存在と描いている私の存在という2つを認識す ることを要求する創作物、として現実の中に留めたいと思うのです。

人間は「根源的に時間的存在」でありますが、私たちが宇宙的規模で見ればとても短い限られた時間枠の中でしか生きていけないという制約の中で、どうすれば その生に輝きを与えることができるのか、それは個々の人間の価値観によって変わってくることではありますが、私としては現実経験と自己表現の両方に関わる ことによって自分という存在の痕跡を残したいと考えています。見る事も描くことも、自らが生きている証しとしての行為として考えられます。そういった意味 において「ポイエーシス」つまり制作の行為性を問い直すことは重要だと、私は考えています。

イメージをモノクロームで描いている理由は、以上のような行為性の強調ということのほかに、もうひとつ色彩が持っている心理的効果をコントロールしたいと いう目的もあります。イメージの認知には時間がかかります。なぜならイメージを意味を持った図像として理解するためには脳の記憶域から情報を引き出す必要 があるからです。またより詳しくイメージを認識しようとした場合、画面の一部に目の焦点を合わせる必要があります。
それに対して色彩を見る場合は、焦点を合わせて見る必要がなく画面全体を面として捉えれば認識が可能です。そして色彩の情報は生理的なものなので、鑑賞者 がイメージの形態的意味を理解する前に、心理状態に働きかけ作品への感情移入を支配してしまいます。それはカラー写真とモノクローム写真の違いを考えれば よくわかると思います。

写真家の森山大道氏は「モノクローム写真には、多分に世界を象徴化し抽象化する感じがあり、カラー写真には、どこか外界を世俗化し風俗化する趣がある。」 とコメントしていますが、森山氏のざらついた粒子感のあるモノクローム写真のイメージは、現実を安易に感情移入ができるような世界として描写していませ ん。もし同じ被写体が心地よい淡いパステルカラー調で表現されていたなら、鑑賞者に伝わる心理的印象は全く違うものになってしまうでしょう。
また極限地域で生きる動物達や、過酷な条件で働いている労働者などの写真で有名なセバスチャン・サルガドの作品はほとんどがモノクローム写真ですが、彼の 場合も、見る人がイメージ情報を冷静に認知できるように色彩を省いているのだと私は思います。つまり絵画や写真における色彩は、かならずしも現実の情報を 伝えているわけではないので、、鑑賞者がその心理的効果を自然なリアリティとして錯覚して、感覚的・情緒的にイメージ情報を認識してしまうことを避けたい と私は思うのです。
しかしながら色を使うことに関心がないわけではありません。わたしにとって色彩はむしろイメージを描くことより官能的で興味を惹かれる要素だと言えます。 ゴッホやマティスは色彩に独自の意味や価値を持たせました。かってクレーは旅行先のアラビアの風景を見た感動を次のように日記に綴りました。

「わたしはそれを感じて心安まる。~色が永遠にわたしを捉えたのだ。それは、わたしにわかる。これが幸福のひとときでなくてなんであろうか。わたしと色は一体なのだ!」(パウル・クレー『造形思考』P592)

上述したように色彩にはそれ自体に心理的効果があり、私が色彩によってそのような効果を作品に取り入れたいと感じた時には、モノクロームイメージの作品と は別に抽象化した色面の作品を並列させたり、モノクロームで描いた画面のなかに小さな色面を挿入させたりします。それは、そうすることによって行為性を損 ねることなく作品に心理的温度を与えたいと思うからです。
わたしは絵画はひとつの窓として作品完結する必要はないと思います。それは鑑賞者が作品と現実の空間で対峙するとき、絵画は場を作り出す要素の一つであり、展示会場に作品があるとすればいくつかの画面を関係付けることによって、よりその場全体が豊かになると思います。 そのような体験はひとつの窓としての作品では表現しきれないものがあり、私はミメーシスと色彩を補い合わせることで空間全体としての場を作り出したいと思うのです。
また画面の中に窓を作ればそれぞれがドラマとして成立します。つまり一瞬の時間の中にいくつものドラマがあり、色彩にドラマどうしをつなぐリズムを作る役割をさせることもできます。

実際のところ「窓としての絵画空間」は、現実に存在するのではなく、鑑賞者に見られること(認知)によって発生するのですから、絵画と鑑賞者の関係性を、 神経生物学者のマラトゥーナの考えるオートポイエーシスシステムとして捉え、絵画空間を見る行為によって作動する産出物として捉えることもできるでしょ う。

「観察者が行う基本的な認知作用とは、識別の作用である。この作用によって観察者は、単位体を背景とは切り離された実態として特定するとともに、逆に背景 を実体が区別される領域として特定する。識別の作用はまた、それが行われた場合、背景から単位体を取り出す手続きの規範となっている。」(マトゥラーナ、 ヴァレラ『オートポイエーシス』国文社P32)
「観察者はシステムを自分自身の相互作用によって規定している部分に分別することができるだけであり、必然的にこの相互作用は観察者の認知領域にあり、観察者の分析モードによって操作的に規定されている。」(同P228)

マラトゥーナの「オートポイエーシス」とギブソンの「アフォーダンス」は視覚に対する認識として極めて近い感じがします。どちらも見ることによって認識さ れる情報を、客観的に現実に在る対象として捉えるのではなく、「見る」行為によって成立する主観的現象として考えていると私は思います。


Ⅷ 視覚についての考察
 
ここまで絵画についての自分の考えを書いてきましたが、それを簡単にまとめれば、絵画とはイメージや色彩を通して視覚的情報を認識するための装置だと言え ると私は思います。しかしそのように定義した場合、それでは視覚とは何かをということを問い直す必要を感じるので、あらためて考えてみたいと思います。

まず視覚による情報は目という感覚器官を通して得ることができますが、化石として残っている限りにおいて、はじめて目を持った生物は、約5億年前のカンブ リア紀に出現した三葉虫などの節足動物だと考えられています。三葉虫などは目を持つことによって外界を認識することができたため捕食能力が高く、、それ以 前の視覚のない「動物」に対して圧倒的に強かったと考えられ、それゆえカンブリア紀以前の種族を絶滅に追い込んだとも考えられています。

はじめ視覚は、光の方向や明暗を識別するための簡単な機能だったものが、進化の過程でより周囲の環境情報を識別するために電磁波の波長を識別するようにな り、それを色として認識するようになったと考えられます。私たちが目によって光として感じているのは、X線や紫外線、赤外線と同じ電磁波の一種であり、そ れらは主に太陽から放射されています。人間は波長が380~780ナノメータの電磁波、いわゆる可視光線と呼ばれる範囲の電磁波でしか外界を見ることがで きませんが、ほかの生物ではその範囲外の電磁波を視覚として認識できる動物がいます。たとえばヘビは赤外線を見ることによって他の体温を持つ動物を感知す ることができ、昆虫の目は紫外線を見ることによって植物の花の部分を色彩の変化として認識することができます。このように視覚という機能の第一の存在理由 は、まず捕食対象を認知することであり、そのために生物の視覚はそれぞれの身体と環境に適合した変化をしてきたといえます。

目を持つ生物は視覚によって現実から得られる情報を全てを認識しているわけではなく、それぞれ自分が生きるために必要な情報を選んで外界から抽出している と考えられます。とくに小さな生物では目の機能も脳の情報の処理能力にしても限界があるわけですから、その限られた性能を効率よく運用するために、正確に 見ることより自分が生きるために必要な要素だけをとりだしていると考えられます。したがって生物によっては精密なイメージ映像を得ることより、 色彩の微妙な識別ができることの方が重要だったり、明暗のコントラストを上げたり、単に光の方向性が判ればよかったり場合もあるでしょう。

そして動物の目の仕組みは大まかに分類すれば、節足動物が持っているような複眼か、軟体動物や脊椎動物のように焦点を合わせるためのレンズがあるカメラ眼 かに分けられます。、どちらの場合も光の明暗を感じる桿体(かんたい)と色彩を感じる錐体(すいたい)という視細胞を内部に持っていて、そこから得られた 情報を脳が再構成することによって外界を認識しています。
上述したように動物によって生きるために必要な情報は違うので、目の視細胞における桿体と錐体の構成や種類はそれぞれ違います。たとえば人間の場合は 「青、緑、赤」の3種類の錐体がありますが、それは青、緑、赤それぞれに対応する電磁波450、500、700ナノメータの周波数を感知することによって 色として認識しています。同じようにほかの動物の錐体をいくつか挙げてみますと次のようになります。

犬は「青」と「黄」を認識できるが、赤と緑は濁った黄色として同じように見えます。それは恐竜のいた時代の哺乳類は、夜行性だったので色覚が退化したが、 その後それぞれの住む環境に応する形で復活したが、犬の先祖の狼は夜行性だったのでまだ色覚が復活してからあまり時間が経っていないので犬の色覚もあまり 良くないと考えられます。

魚は住んでいる環境に応じて色を識別する錐体の種類の数が違います。淡水魚や海の沿岸部に住む魚は色覚が発達していてメダカやフナ、コイ、コバンザメ、ヒ ラメなどは「紫外線、青、緑、赤」の4種類の錐体があります。それに対して水深500メートル前後で生活するマグロは紫外線と青緑の2種類の錐体しかあり ません。それは赤という色彩を認識させる電磁波が水の中に吸収されてしまうため、深海では赤い色が見えなくなってしまうからです。そのため深海に住んでい る魚は、色を認識するよりも明暗によって相手の輪郭を把握したほうが有利なので、デメニギスのように明暗に特化した構造の目を持つ魚もいます。

以上のようなことから理解できることは、通常われわれは色彩を物体に付随した本質的要素として考えているが、本当はそれぞれの主体となる動物が、物体から 反射した電磁波を必要に応じて脳で合成して光の色として認識しているのだということです。たとえば魚が色を錐体を通して認識していてもそれが人と同じよう な色として見えているかどうかはわからないのです。つまり色は現実の自然界にあるのではなく、動物の脳のなかにあると言ったほうが正しいと言えます。
色彩を認識することは、痛みを感じたり味を感じたりすることと同じように主体に委ねられているのであり、重さや硬さとは違い色彩は物体に付随した要素では なく、視覚を持った見るという行為によって作り出された要素であると言うことができます。つまり絵画空間をイリュージョンと言う前に、視覚で得られる現実 世界の色彩自体が目と脳によって作り出されたイリュージョンであると私は思うのです。

ところで視覚についてこういったことを考える根本には、私が色覚障害(赤緑色弱)であるということが影響しています。同じ色を見ていても、自分が認識して いる色と正常な色覚の人が認識している色が、微妙に異なって見えているということに気づいてから、それからは世界を認識することに対して疑問を持って考え るようになりました。

絵具は色彩を容易に扱えるように考え出された物体で、それを使用することで画家は絵画を表現をしますが、その際わたし達は色を確かな現実的要素として認識 し再現しています。でも本当は色を見ることは不確かな行為、色は曖昧な対象なのではないか。ふつう人には紫外線や赤外線を見ることができませんが、もしそ れらが見えたのであれば、絵画表現の「リアリティ」の基準はまた違ったものになったはずでしょう。具体的な例を挙げれば、写真家のリチャード・モスの作品 では赤外線フィルムカメラを使うことで、通常グリーンに見える対象がピンクに近い紫のマゼンタになり、ブラウンはブルーに変化して写っています。戦乱のア フリカ・コンゴを写した彼の作品は、本来緑に見えるはずの草原の風景が一面ピンク色で異様とも幻想的とも言いがたい不可思議な魅力を放っていますが、それ はまぎれもなく現実から情報を抽出したミメーシスなのです。

絵画は現実を再現する方法として、ルネッサンス期の線遠近法や色彩理論に基づく印象派絵画、セザンヌによる対象の幾何学的単純化など、今日までにいくつか の空間認識のための表現コードを作り出しながら変質してきました。そのようなコードの延長線上として、目が視細胞の錐体と桿体によって外界を感知して脳が その情報を統合しているという事実認識は、新たな表現コードとしての可能性があるのではないかと、わたしは考えています。

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